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ニチジョウ。

ニチジョウ。

本当の友達

刺激文が嫌な方は速攻戻るべし。






私は恵まれていると思います。
フツーに友達やってる人の他に、「本当の友達」と呼ばれるヒトが数人いる。
どっちも友達には変わりないんですけどね。
自分よりも大切にしたい友人が、ひとりふたり、……ろくにんもいる。
彼らが死ぬくらいなら変わりに死んでしまいたいと思うヒトが、なんと六人もいます。
それこそが俗に言う「本当の友達」なんでしょうね。
よく、僕には本当の友達がいないとかって言葉をネットなどで見かけるのですが、そういうヒトって思っているより多いと思うのです。
本当の友達がいないと言える人は自分の現状況をはっきり認識できている人だけ。
もしくは過去に「本当の友達」がいたから、今の自分の周囲にはそういう人間がいないことがわかる。

僕には本当の友達がいない。

そう言える人は、自分に本当の友達がいないとわかっている人だけです。
今自分の周囲にいる友達が「本当の友達」とは違うとわかっているから言えることです。本当の友達というものがどういうものなのか、少なくとも自分なりには理解しているから言えることです。
理解していないから、フツーの友達と本当の友達の区別がつかない人もいる。
私にとっては、本当の友達と呼べる人もいないのにいると信じて疑わない人の方が、悲しいです。だってなんにも知らないのですから。周囲には本当の友達がいなくても、本当の友達がどういったものかを知らないから「いない」とは答えられないだけなんです。
そういった答えられない人たちは私たちの予想を超えてはるかに多いと思います。
自分に本当の友達がいない自覚がないから周囲の人たちも気づけないだけで、実は本当の友達なんてひとりもいない人。
「本当の友達なんていない」と言える人と、無自覚なあまりにそう言えない人。
ふたつを合わせたら、本当の友達がいる人よりもいない人の方が多いだろうと思います。




少年Aには、少年Bに本当の友達がたくさんいるように見えていた。
しかし少年Bには、少年Aにこそ本当の友達がいるように見えていた。
そして互いに、自分には本当の友達などいないと思っていた。




少女Aは、自分には本当の友達などいないと嘆いていた。
自分以外の誰もが本当の友達を所持しているように見えていた。
少女Bは、自分には本当の友達がいると豪語していた。
しかし教師Aには、ふたりとも変わらないように見えていた。


もしかしたら私も「無自覚」な人間のひとりなのかもしれない。でも、私はフツーの友達と本当の友達の区別ができる。
だからきっと私は恵まれているのだろうと思います。
本当に無自覚な人はクラスメイトと友達の区別しかできないだろうと思うから。
私にはクラスメイトとフツーの友達と本当の友達を区別することができる。
区別できるのは、区分けして名前をつけた「本当の友達」というスペースに入るべき人達がいるから。
だから絶対に私は恵まれていると思います。




他人と自分を比べるのなんて愚かだという人もいるかもしれません。
恵まれているかどうかなんて、もろに誰かと自分を比較しているわけだからとてもこの偏見は愚かに見えるでしょう。
でもたまに比較をして自分の位置を確かめてみるのもいいことだと思います。
感情だけで人は動けるものじゃないと信じている私としては、比較は有効な行為なのです。
人間は知性で動けると思う。
だから誰かと自分を比較してみて、自分よりも可哀想な人に優しくしてあげるとか、自分は充分に恵まれているから我儘をひかえるとか、そういうこともできると思うのです。
綺麗なキモチからの行動じゃありませんけどね。
でも純粋に自分の意思で動くことの方が少ないんじゃありませんか?



ごたごたと屁理屈を並べてみましたが。
とにかく私は恵まれています。それを嬉しく思います。
比較なしでもシアワセだった私の気持ちは、比較して「自分は恵まれている」と知ったことによりさらにシアワセな気持ちになりました。
比較はシアワセ増量剤でもあると思うのです。




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